レジャーホテルが好きすぎる弁理士女子のブログ

ラブホ好きになった原点の本『ラブホテル進化論』(文春新書)

何度読んでも飽きない本には、そうそう出会えない。


数少ないその一冊が、ラブホの歴史、現状そして未来について綴った『ラブホテル進化論』だ。
著者は、当時(2008年)女子大生で今はラブホ研究家の、金益見(きむ・いっきょん)である。

特に夢中になったのは、奇想天外なラブホの部屋について綴った「ラブホテル必須アイテム」という章だ。
1960年代~1980年代前半は、非日常的な仕掛けが次々に生まれた時代だった。

鏡貼りのベッド


連れ込み宿の時代の鏡貼りを筆頭に、回転ベッド、上昇するベッド、半透明の浴槽、マジックミラーの浴室などの説明が載っている。
どれも奇抜で、ワクワクしながら読んだ。
これらが私が生まれる前の時代にあったことに、驚きも感じる。
「いいなあ、そんな部屋のあるラブホに行ってみたい」とうっとりした。

上昇するベッド

しかし、80年代半ばの風営法改正により、非日常的な仕掛けは新たに作れなくなる。
その時代の女性客にこのような部屋が不人気だったことも、下火になった原因らしい。
「もう!何なのよ、新風営法と当時の女性!」とイラついた。

ガラス貼りの浴室

また、ネーミング論にも興味をそそられる。
大阪万博が話題になった70年代、「アメリカ」「ナイアガラ」といった名前がラブホに付けられるようになった。

新横浜の『フェアリー』

80年代は、「チャペル」「フェアリー」といった、女性が喜ぶファンシーな名前が流行った。

90年代以降は、費用をかけずに宣伝効果をあげるべく、「べんきょう部屋」などの変わった名前が採用されるようになった。
ネーミングひとつ取っても、様々ないきさつがあるのだ。

最近また読むと、新たな発見があった。
「風俗利用を防止するために、女性ひとりでの利用を断るラブホが多い」という記述についてだ。
著者は卒業論文を作成するため単身でラブホに入ったが、追い返されてしまったという。

しかし、私はもう10軒以上もひとりでラブホへ行っているが、一度も断られたことがない。
ゼロ年代と2010年代以降で、女性ひとりの利用への許容度が異なるのが分かる。

私は19歳でこの本を見つけ、小口が黄ばむまで繰り返し読んだ。
それまでもほのかに憧れていたが、「凝った内装のラブホに行きたい」とはっきりした欲求を持ったのはこれが初めてだった。
そして10年経って、ラブホ探訪は趣味のひとつとなっている。
時々読み返したくなる、私の原点の本だ。